【新人新原氏・ 初当選】呉市長選挙2017、候補者4人の経歴紹介
2017年11月5日告示され、11月12日に投開票が行われた呉市長選挙
新人で元財務官僚の新原氏が初当選をを果たした。
当選した新原氏の経歴と公約は以下の通り。
新人 新原芳明(しんはら・よしあけ)氏
修道中・修道高校、東京大学法学部を卒業後、大蔵省に入省。その後、伊勢税務署長、在フランス日本国大使館参事官、富山県副知事、総務省大臣官房審議官、証券取引等監視委員会事務局長などを歴任。2008年には造幣局理事長に就任し、2015年退任する。
今回が初めての選挙となる。中学・高校の同窓会の一部や、地元財界の支援が得られている模様。また自民党衆院議員の寺田稔氏の後援会内部が現職小村氏支持と新原氏支持で分裂中と報道されており、一部の自民党系の支持が期待される。
呉復活新計画として、くれワンダーランド構想の政策を公表している。
公式サイト:新原よしあけオフィシャルサイト
今回の選挙は、4人が立候補した大混戦だった。立候補者は、現職市長の小村和年氏(70)、元財務官僚の新原芳明氏(67)、元衆院議員の三谷光男氏(58)、そして元大学教授の宮宇地一彦氏(74)だ。4選を目指す現職の小村市長に、多様な経歴をもつ新人3人が挑戦する構図だった。
現職 小村和年(こむら・かずとし)氏
reference:明治、大正、昭和を体感できる4都市が連携 旧軍港の近代化遺産テーマにフォーラム開催 | OVO [オーヴォ]
呉市立阿賀中学校、広島県立広高等学校卒業。1966年に広島国税局に入局。1972年には中央大学商学部を卒業後、運輸省に入省。2001年に国土交通省を退職後、呉市長選挙に立候補するも現職(当時)の小笠原臣也市長に敗北する。2005年、再度呉市長選挙に無所属で立候補し、小笠原氏と再戦。2度目の戦いでは小笠原氏を破り、初当選を果たした。ちなみに、この翌年、小笠原前市長は呉市一般職の不正採用で逮捕されている。
無所属で臨んだ2009年・2013年の選挙でも再選を果たし今回が4選をめざした選挙となる。市の自治会連合会や女性連合会の支援を受けており、また前回2013年の選挙同様、自民党へ推薦の依頼を出している。
今夏の選挙に向け、「軌道に乗ってきた本格的な街づくりを4期目で仕上げたい」と3期12年の実績を強調。当初の公約で「最長で3年」と掲げていたにもかかわらず、4期目に立候補することへの批判に関しては、「市政の独断的運営やマンネリ化はなく、一般的に言われる多選の弊害は自分にはない」と主張している。
新人 三谷光男(みたに・みつお)氏
reference: 三谷光男 (@mitanimitsuo) | Twitter
二河中学、呉三津田高校、大阪大学経済学部卒業。大学卒業後、松下村塾に入塾する。その後、宮澤喜一衆院議員の秘書となり、公設第一秘書、政策担当秘書などを歴任。2003年の衆院選に無所属で出馬したが、自民党の池田行彦氏に敗れる。2004年、池田氏死去に伴う補欠選挙に民主党から出馬するも、池田氏の娘婿となった寺田稔氏に敗れる。2005年の選挙でも寺田氏に敗れるが、比例で復活当選を果たし衆院議員となる。2009年の選挙では、はじめて寺田氏を破って再選。
民主党政権では、財務大臣政務官、内閣総理大臣補佐官などを歴任。しかし2012年に行われた衆院選では、寺田氏に敗れ、比例復活もならず落選する。2014年の選挙では民主党から立候補する予定だったものの、体調不良を理由に取りやめている。2015年には民主党を離党し無所属となった。2016年には、呉市長選挙を見据えて「呉の未来を創る会」を発足し準備を進めてきた。連合広島や一部の市議の支援があるようだ。
今回の選挙に向け、選挙1年前の2016年11月に早々の立候補宣言をした三谷氏。中小企業の技術向上や販路拡大の支援で町に活力を取り戻すとし、子育て政策については「保育料や中学3年生までの医療費の無料化」を訴え「市民の幸せと利益を最優先した市民改革を進める」と語っている。
公式サイト:三谷光男プロフィール|三谷光男公式サイト
新人 宮宇地一彦(みやうじ・かずひこ)
reference:宮宇地一彦 (@Miyauchi_Kazu) | Twitter
片山中学校、呉三津田高校、法政大学工学部・早稲田大学文学部を卒業。米国ワシントン大学留学し大学院で都市計画と建築を学び、建築修士を取得。その後、民間建築会社勤務を経て、一級建築士を取得し東京で建築事務所を設立する。その後、法政大学で博士号を取得し、法政大学兼任講師・文化女子大学造形学部生環境学科の教授を務める。
高齢の両親の介護のため呉に戻る。呉市議会と委員会(総務、民生、文教企業、産業建設)を約 2 年間傍聴し呉市政を学び、また呉市内の各地(天応、吉浦、阿賀、広、仁方、川尻、安浦、昭和、郷原、蒲刈四島、倉橋島)を歩き、問題点と可能性をひろい集める。今回の選挙戦に向けて、「今度の市長は民間から」のスローガンを掲げている。
私が、呉市長に立候補しようとした最大の理由は、呉の次の生きる道は「観光」であると予測し、そのための都市計画的な手立てを今しておくべきと考えたからです。呉は更によくなる可能性のある都市です。ただ、呉は、利権がらみで、呉がめざすべき未来の道とは別の道に行っているように見えます。
— 宮宇地一彦 (@Miyauchi_Kazu) 2017年10月1日
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